313.2m 国上山 2013年11月24日(日

『弥彦山』

晩秋は里山と決めています。
弥彦山に登るつもりでやってきましたが、駐車場が満杯です。


11:00

国上山に登ることにしました。



今日の天気予報は荒れる予報だったのだが・・・・
なぜか新潟は晴れていた。こんな時は遅い出発になります。

第一トンネル  

弥彦山が近づくにつれて、雲及びガスが出てきました。
まるで弥彦山が分岐点のようです。


なぜか落ち着きます。晩秋は・・・
第二トンネル 御地蔵さん 11:26 分岐


『山の神参道』

気持ちのいい晩秋  


国上山


11:52 尾根に乗る


『弥彦山眺望』

『蛇崩』の看板 剣ヶ峰
 
12:01 剣ヶ峰分岐  
 美しい晩秋の中を進みます  
 
12:11 山頂と三等三角点  


山頂の案内板

当然定番の特性ラーメンを所望しました。
13:05 小春日和とはこのこと  
 
展望台へ  


『展望台より』

青空が美しい  
弥彦山再び
間もなく  
 
13:33 登山口


『太子堂』


『本堂』

現在より約1300年前になる、元明天皇の時代、和銅2年に弥彦大明神の詫宣によりて建立されました。
 本尊は上品上生阿弥陀如来であり、行基菩薩の御作として伝えられており、聖武天皇のお后である光明皇后より奉納されました。
その時以来、北海鎮護仏法最初の霊場として信心のよりどころとなっております。
 本尊のご開帳は12年に1度の貴重な行事で、昔から新潟や、とりわけ地元では「今年は子の年、国上の開帳」と謡われています。

越後最古の名刹、くがみ山国上寺(こくじょうじ)公式HPより

開山1,300年の歴史

国上山の由来
国上山は、以前古志郡越の山という名所であり、雲高山もしくは雲上山と言われていました。飛鳥時代より蒲原 郡に属し、
聖徳太子がこの山に登って雲上記を書かれたとも伝わっています。また、その折に大悲千手観音の像を彫って、北海鎮護仏法最初の霊地と定めまし た。
大悲千手の像は雲上、雲高にあることから「くがみ」と言われておりました。今「国上」と書くのは孝謙天皇が御宇にて「国中上一寺」と詔勅されたことが 由来です。
また、万葉集には久賀躬と書かれています。

当山の草創
元明天皇和銅2年(709)に越後一の宮弥彦大神の託宣(神様の言い伝え)により建立された、越後最古の古刹です。
弥彦神社の本地として崇められ、代々別当寺として古記に分明されています。
格式としては、孝謙天皇より御宇にて正一位を賜り、北海鎮護仏法最初の霊場として信心のより所とされてきました。

御本尊について
御本尊は上品上生の阿弥陀如来であり、縁起等によれば、
行基菩薩の御作婆羅門僧正の御開眼にして、聖武天皇の御后光明皇后により賜った霊仏であると伝えられています。
現在は、子年(12年に1度)の開帳としています。

宗派について
開山当初は修験道でしたが、時代の権力者の庇護により改宗され、法相宗・天台宗・真言宗醍醐派と転じ、現在では真言宗豊山派に属しています。



『五合庵1』

「焚くほどは 風がもてくる落葉かな」
良寛直筆の、この落葉の句碑が五合庵のそばに建てられております。
五合庵は良寛が玉島より帰国してしばらく転々とした後、文化元年、良寛47歳頃から文化13年までの最盛期を過ごした草庵であります。
五合庵の名は国上寺の客僧萬元が貫主良長の扶養を受け、毎日粗米五合を寄せて頭陀の労を援けたことによって名づけられました。
現在の堂宇は良寛在庵時のままではなく、大正3年の再建になっております。
白木造藁葺、間口2間、奥行9尺、面積4.5坪


『五合庵2』


国上山ありがとう、また来るよ


春の国上山へ

 シロート雅の
トレッキング日記